また2800個もの種が建物の土杭から出土し、それらは邪馬台国の年代に匹敵する2~3世紀に食べられたモモの種と確認されたことも、女王国の存在に絡む重要な発見として注視されています。. 邪馬台国とは、2世紀〜3世紀頃に日本に存在していたとされるクニです。女王・卑弥呼の治めていたクニとして知っているという方も多いでしょう。そんな邪馬台国は、どこにあったのでしょうか?実はその場所については、ずっと論争が続けられているのです。この記事では、邪馬台国の場所.
邪馬台国(やまたいこく/やまとこく、旧字体: 邪󠄂馬臺國)は、『三国志』魏志倭人伝に伝わる3世紀ごろの倭国内の国の一つ。倭の女王卑弥呼が都としていたことで知られている。
古くから大和国(やまとこく)の音訳として認知されていたが、江戸時代に新井白石が通詞今村英生の発音する当時の中国語に基づき音読した ことから「やまたいこく」の読み方が広まった。所在地について論争があったが、21世紀現在では考古学の成果などを踏まえて畿内説が有力視されている。
概要
中国の『三国志』魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)では、卑弥呼は約30の国からなる倭国の女王で邪馬台国に都をおいていたとされている。
なお、現存する三国志の版本では「邪󠄂馬壹國」(新字体:邪馬壱国)と表記されているが、晩唐以降の写本で誤写が生じたものとするのが通説である。本項でも「邪馬台国」と表記する。
倭国は元々男王が治めていたが、国の成立(1世紀中頃か2世紀初頭)から70-80年後、倭国で長期間にわたる騒乱(倭国大乱)が起きた。そこで卑弥呼という女性を王に共立することによって混乱が収まり、倭国連合が成立した。彼女は都を邪馬台国におき、弟の補佐を受けながら国を治めていた。卑弥呼は狗奴国と対立しており、戦いがあった247年(正始8年)ごろに死去する。
邪馬台国の官としては、伊支馬、次に彌馬升、次に彌馬獲支、次に奴佳鞮がいた。戸数は七万余戸あったとされる。
なお、倭人伝中に出現する表記上は、「邪馬台国」は1回に過ぎず、「女王国」が5回を数える。邪馬台国と後のヤマト王権の関係や、邪馬台国の位置については諸説ある。
『魏志倭人伝』中の邪馬台国
以下は『魏志倭人伝』に記述された邪馬台国の概要である。
道程と官名
魏志倭人伝には、魏の領土で朝鮮半島に当時あった帯方郡から邪馬台国に至る道程が記されている。
邪馬台国までの各国については位置と道程について『魏志倭人伝』に詳しい記述があり、邪馬台国は投馬国から「水行十日、陸行一月」と記載される。その他21の国々が記載されるほか、邪馬台国の南には男王卑弥弓呼が治める狗奴国があるが、狗奴国は邪馬台国と不和であった。
邪馬台国に置かれた官名として伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳鞮が挙げられ、人口は7万戸余りとされる。
倭地、女王国の地理
女王国(邪馬台国)から東に1000里ほど海を渡ればまた倭種の国があるとされる。その倭種の国からは南に、小人の国である侏儒国があると説明されている。それとは別にまた船行1年で行ける所として裸国と黒歯国があった。
倭地について説明があり、「倭地について參問(情報を収集)すると、海中の洲島の上に絶在していて、或いは絶え、或いは連なり、巡り回ると5000里ばかり」とある。
政治・経済
倭国の女王である卑弥呼は邪馬台国に都を置いた。
名称・表記
現存する『三国志』(魏志倭人伝)の版本では「邪馬壹國」と書かれている。『三国志』は晋の時代に陳寿(233-297)が編纂したものであるが、現存する刊本で最古のものは、12世紀の宋代の紹興本(紹興年間(1131年 – 1162年)刻版)と紹熙本(紹熙年間(1190年 – 1194年)刻版)である。一方、勅撰の類書でみると、宋代の『太平御覧』現存刊本は、成本時期が10世紀で現存の『三国志』刊本時期より古いが、『三国志』を引用した箇所をみると「邪馬臺国」の表記が用いられている。
『三国志』より後の5世紀の『後漢書』倭伝現存刊本では「邪馬臺国」、7世紀の『梁書』倭伝現存刊本では「祁馬臺国」、7世紀の『隋書』現存刊本では俀国について「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」(魏志にいう邪馬臺)、唐代の『北史』四夷伝現存刊本では「居于邪摩堆 則魏志所謂邪馬臺者也」となっている。
新字体では、「壹」は壱か一にあたる文字(ただし通常は壱で代用する)であり、「臺」は台にあたる文字である。
表記のぶれをめぐっては、11世紀以前の史料の現存刊本に「壹」は見られないため、一般的には誤写によるものとされる。
発音
「邪馬台」の後漢中国語(当時の発音) /*ja-ma-də/
現在「邪馬台国」は一般に「やまたいこく」と読まれる。この「やまたいこく」という読みは、江戸時代に新井白石が通詞今村英生の発音する当時の中国語に基づいて音読したものであるため、魏志倭人伝の書かれた当時の発音を正しく表すものではない。上述の通り、当時の発音は”*jamadə”であったと推測され、これは仮名文字で表記すると「やまど」となる。しかし、当時の日本語では清音と濁音の区別がなくどちらも同じ音と認識していたため、当時の正しい発音は「やまと」となる。
所在地論争
邪馬台国の所在地に関する議論は『日本書紀』編纂の頃から繰り広げられ、主に畿内説と九州説が争ってきた。21世紀現在では考古学的成果などを踏まえ、畿内大和に比定する説が有力視される。
脚注
注釈
出典
参考文献
- John R. Bentley (2008). “The Search for the Language of Yamatai”. Japanese Language and Literature 42 (1): 1-43. https://www.researchgate.net/publication/272826563_The_Search_for_the_Language_of_Yamatai_Japanese_Language_and_Literature_421_pp_1-43.
- 大森志郎『魏志倭人伝の研究』宝文館、1955年。https://dl.ndl.go.jp/pid/2983665。
- 西本昌弘「邪馬台国論争」『日本歴史』第700号、2006年、5-16頁。
- 仁藤敦史『卑弥呼と台与:倭国の女王たち』山川出版社〈日本史リブレット人001〉、2009年。ISBN 4634548011。
- 森博達「倭人伝の地名と人名」『倭人の登場』中央公論社〈日本の古代1〉、1985年。
- 山尾幸久『新版・魏志倭人伝』講談社、1986年。
- 義江明子『つくられた卑弥呼――〈女〉の創出と国家』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2018年(原著2005年)。
- 渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国』〈中公新書〉2012年。
関連項目
- 弥生時代
- 古墳時代
- ヤマト王権
- 前方後円墳体制
- 倭・倭人関連の中国文献
- 倭・倭人関連の朝鮮文献
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